今朝の朝刊に、石川遼が米PGAツアーの下部ツアーである「コーンフェリー ツアー」への出場資格得るため、10月に開催される予選会に出場するという記事が載っていました。
現在日本ツアー賞金ランキング9位と調子を上げてきているので、この勢いで米PGA下部ツアーのツアーカードを獲得したいという思いでしょう。そして、下部ツアーでシーズンポイント上位に入るか、あるいは1勝をあげて、米PGAに再挑戦することを目指しているようです。石川より後から米PGAツアーに参戦した松山英樹が、今年「マスターズ」で優勝したことも、石川の心を燃え上がらせたのかもしれません。
石川は15歳の時に、「マンシングウェアKSBカップ」でアマチュアとして優勝し、ゴルフ界のみならず世間から注目を浴びました。16歳でプロに転向し、その後も順調に勝ち星を重ね、2013年から5年間米ツアーでプレーしましたが、1勝をあげることはできませんでした。
すばらしい才能があるのに、なぜ米PGAでその才能が開花しなかったのか?彼が初優勝したときからずっと見てきて思うことは、彼のお父さんが彼を自分の手許から離さないで、コーチをつけなかったことが最大の理由ではないかと。
小さい頃から遼君を自ら指導してきて、遼君は日本ツアーで史上最年少優勝を果たし、その後もコンスタントに優勝してきた。この延長上に必ず米PGAツアー優勝があり、メジャータイトル獲得があるとお父さんは考えたのだと思います。
当時お父さんは雑誌に手記を投稿し、「遼が小さいときからずっとスイングを見てきているので、動きが1ミリずれただけでも、その違いが自分にはわかる。」と述べていました。息子のことを一番わかっているのは自分なんだ。この手で息子にメジャータイトルをつかませてやりたい。そんな気持ちだったのでしょう。
ただ、いかんせんお父さん本人にはゴルフのキャリアがまったくなかった。金融機関に務めるサラリーマンで、アベレージゴルファーにすぎなかったことが大きな障害となってしまいました。
遼君とほぼ同じ年で、このブログの表紙に使わせてもらっているローリー マキロイは、今までに米PGAツアーで19勝、欧州ツアーで14勝して、メジャータイトル4つ獲得したトッププレーヤーです。彼のお父さんがかつて語っていたのは、「息子がジュニアの時代には、遠征費・合宿費・プレー費用などでお金がかかった。その費用をまかなうために自分は仕事を4つも5つもかけもちした。でも、プレーには一切口を挟まなかった。」
マキロイのお父さんは、クラブのメンバーでハンディキャップは2のシングルプレーヤーです。それでも「お金は出すけれど、口は出さない。」姿勢を貫いた。ゴルフの技術的なことはすべてコーチに任せた。口では簡単に言えますが、なかなか実行することはむずかしいことです。でもそれをやり遂げたからこそ、今のローリーがいる。
遼君の今回の挑戦がどんな結果となるか。注目していきましょう。